9〈覚悟〉
9〈覚悟〉
「このギターなんぼやった?」
夕方いつものように二人は病院の屋上で作曲に励んでいたが、突然ギターを弾く手を止めた虎太郎が尋ねる。
「そんなに高くなかったよ~、中古で2万位だったかな~」
如何にもボンボンらしい秋人の口振りが癇に障ったのか、タバコに火を着けた虎太郎は「お前が2万やったら俺は20万やな」と妙な対抗心を燃やす。
「ギター買うの~?貸すから大丈夫だよ~」
「阿呆か俺の覚悟見せたるわ!」
「別に気にしなくても良いのに~」
金額が金額なだけに秋人は心配そうに呟くが「2万かどうりで俺に合わへんと思うたんや、音が弱い!」と虎太郎は借りてる立場もわきまえず、暴言を吐いている。
「20万って無茶だよ~、そんな気にしなくて大丈夫だよ、全然音も弱くないし~」
虎太郎の宣言を真に受けていないのか、秋人は愛想笑いを返すが「弱いな!お前と一緒や!覚悟が足りん」と虎太郎は不敵な笑みを浮かべていた。
次の日、珍しく朝に起きた虎太郎が向かった先は面接会場。
前日不敵な笑みを浮かべていた理由がコレだった。
整然と机・椅子が並べられた待合室には、すでに数人の面接者が緊張した面持ちで待ち構えている。
対戦相手を見定めるように虎太郎は室内を見渡すが、戦闘着であるスーツを着ていないのは虎太郎だけだった。
「オイ!何か緊張するな!」
席に着いた虎太郎は親しげに話し掛けるが、隣りに座っていた面接者は緊張のせいか頷く事しか出来ない。
仕方ないなと言わんばかりに黙る虎太郎は、つまらなさそうに壁を見つめている。
「次の方どうぞ」
呼び掛けごとに面接の順番は近づいているが、気にもならないのか虎太郎だけは微動だにしない。
数十分後同じように呼び掛けられた虎太郎は「失礼します」と意外にも礼儀正しい口調で入室したが、溢れる威圧感が台なしにしていた。
あまりにも解りやすい虎太郎の見た目に面接管は一瞬たじろいでいたが「どうぞ御掛け下さい」と何とか体裁を保つ。
「それでは先ず履歴書を拝見させて頂きます」
どっしりと椅子に腰掛けた虎太郎は、モゾモゾとズボンのポケットから履歴書を取り出し手渡す。
袋にも入れず所々折れ曲がっていた履歴書を開いた面接管は、何を言うでもなく静かに内容を見極める。
「それではいくつか質問させて頂きます、御自身の長所と短所をお教え下さい」
「長所は負けん気の強い所で短所は短気な所です」
虎太郎は真剣な表情で答えるが、あまりにも見た目どうりな回答に面接管には笑みがこぼれる。
当社を志望した理由は何故ですか?」
笑ってしまった事を取り繕うように面接管は質問を続けるが、虎太郎の視線は鋭くなっていく。
「‥‥偶然です」
「そうですか、それでは貴方にとって仕事とは何ですか?」
「お金ですね!」
辛うじて返答を続ける虎太郎の口調は刺々しく、変容した室内の空気は重くのしかかっている。
察した面接管は早々に質問を切り上げ、後日当然のように虎太郎は落選した。
「何が、君‥‥接客業だって解っている?や!見る目が無いわ!」
「やっぱり髪型が駄目なんだと思うよ~」
「阿呆か!髪型と仕事は関係無いやろ!」
数日後いつものように屋上でのギター練習に来た虎太郎は、苛立ちからかギターに触れようともしない。
「そう言えば、あれからメンバー募集の電話有った?」
話しを逸らそうと秋人は話題を変えるが「電話は何回か有ったけど良い奴はおらん!覚悟が足らん」と不機嫌なままの虎太郎は舌打ちを返す。
「大丈夫だよ~、そのうちどっちも見つかるよ~」
秋人は気休めを口にするが、気の治まらない虎太郎はリズミカルな舌打ちを続け。
次第に話し掛けづらくなった秋人は眠たそうに「髪切ったら普通に受かると思うけどな~、でもポリシーも大事だし・・・」とブツブツ独り言で間を潰している。
「ウ゛ォオ゛~!!」
突然立ち上がる虎太郎の雄叫びに驚き、秋人は眠気も忘れる程に目を見開く。
「返信や!返信来た!」
身震いするくらい動揺を隠せない虎太郎に「変身・・・?」と聞き直す秋人は妙なポーズで顔色を窺う。
「シバくぞ!メールの話しや」
暴言とは裏腹に、喜び溢れる虎太郎の表情は明るい。
「もしかして千夏ちゃん?何って?」
遠慮無い秋人の質問に「オウ、お褒めの言葉や」と笑顔を返す虎太郎は詳しく説明はしなかったが、バイト探しの件なのは間違いなく。
次の日から一層面接に奮闘する虎太郎に、女神が微笑むのは数日後だった。
この日の面接先は大きな中華料理店のバイト。
大柄で強面な風貌の雇われ店長が手で着席を促し、虎太郎は静かに椅子に腰掛ける。
「いまどき珍しく気合いの入った髪型やな~」
悪気無さそうに笑い掛ける店長は、虎太郎相手でも全く動揺していない。
「これが俺のポリシーなんで!」
いつになく好印象な会話のやり取りに、笑顔を返す虎太郎にも壁が無い。
「最近は個性も元気も無い奴が多いからな~、まあ働いてもらう事になったら帽子は被ってもらわなあかんけどな」
懐かしむ様に虎太郎を見つめる店長は、今にも自分の伝説を語りだしそうだった。
「接客業は初めてみたいやけど問題無いか?」
「大丈夫です!人見知りとかしないんで!」
「熱いのは平気か?、厨房は毎日サウナやぞ!」
「大丈夫です!熱い男なんで!」
決して礼儀正しくは無い虎太郎の返答だが、店長は気にする様子も無く満足げに頷く。
「いつから来れる?」
まるで試されているのかと疑いたくなるような一言に「えっ‥‥?」とさすがに予想外だったのか、虎太郎は珍しく返答に躓くが。
「いつからでも大丈夫です!!」
ガラスを揺らしそうな程、張り上げた声が店内に響く。
「じゃあ明日から来てもらおうかな!」
悪戯に笑い掛ける店長に虎太郎は勢い良く頭を下げる。
店内にはさっきよりも大きな感謝の声が響いた。
その夜。携帯のメール画面を睨みつける虎太郎は、携帯を置いては手に取り置いては手に取りを繰り返している。
まだ送られていないメールの内容は「電話して良いか?」と尋ねるとても短い文だった。
散々それを繰り返した結果そのメールを削除した虎太郎は、覚悟した様子で再び携帯を手に取る。
通話ボタンを押し、千夏が電話に出たのはコール五回目だった。
「虎君どうしたの?私の声が聴きたくなっちゃった?」
第一声から茶化す千夏に、虎太郎は緊張が一瞬で無くなったように笑い返す。
実際メールでのやり取りは増えたが、電話で話すのは初めてだった。
「面接受かったわ、ありがとうな」
軽い口調だが真剣な面持ちの虎太郎に、千夏は小さく頷く。
「それだけ言いたかったんや、じゃあな」
感謝を言えた事に満足したのか、虎太郎は素っ気なく電話を切ろうとするが「まだ‥‥、早い!」と千夏は無邪気に引き止め会話を続ける。
友達や家族の事、ドラマやニュースの事、将来や夢の事、二人の話しは尽きず気付けば深夜になっていた。
「虎君って意外と優しいのね、うん‥‥、じゃあね‥‥、おやすみ‥‥」
「おう、またな‥‥」
電話を切った次の日から、虎太郎は慣れないバイトに明け暮れる毎日が始まる。
朝8時から夕方5時迄、最初の二週間は皿洗い。
バイトが終わると病院に行き秋人とギターの練習、そんな忙しい日々が続いていたが虎太郎は充実しているようだった。
理由は明白。
初めて電話した日から数日おきに続く千夏との電話が、変わり始めていく虎太郎を支えていた。
どんなくだらない話しも二人なら笑い話に変わり、時間を忘れる程長話を続けていた。
「夜ヒマなんやったら、しゃーないから俺が話し相手になったるわ」と強がっていたが、救われているのは寧ろ虎太郎の方だった。
それから数日後。
「そろそろ厨房やってみるか!」
昼時を過ぎて客が減り始めると、洗い場に来た店長が虎太郎の肩に手をおき厨房に連れ立つ。
「油を引いて水を入れて蓋をする、焼き音が変わったら‥‥」
店長は説明しながら手際良く餃子を焼き、虎太郎は真剣な眼差しで手順を覚える。
「ほな、やってみよか」
説明の最中もオーダーは増えていき、店長が見守るなか虎太郎は餃子を焼き始め。
不慣れながらも要領良く順調にオーダーをこなしていく虎太郎に、安心した店長は「このまま任せたぞ」と焼き場を離れ休憩に出て行く。
皿洗いよりは遣り甲斐が有るのか虎太郎は楽しそうだったが、困ったのは他の店員だった。
今まで他の店員は如何にもな見た目のせいで虎太郎を恐れ、話し掛けられる事すら無かった。
だが厨房に入るとなれば、さすがに無視する事は出来ない。
いつになく注文する側には緊張感漂っていたが「セットの餃子急ぎでお願いします!」「あいよ!」と意外に明るい仕事でのやり取りが、虎太郎に対する誤解を解き。
この日を境に少しずつ、虎太郎にも普通の仲間が出来ていく。
そんな調子でバイト生活が数ヶ月続き、いつの間にか虎太郎の立場も先輩に変わっていた。
バイト先での休憩時間、プレハブ小屋でくつろぐ虎太郎は後輩とバンドの話しをしていた。
「曲名はちょっとアレなんスね‥‥」
すでに聞いた事の有る批評で、後輩は虎太郎を苛つかせる。
「俺もバンドやってみたいなって思ってたんス!ベースにどうっスか俺?」
軽いノリで頼む後輩に、虎太郎の苛立ちは正に頂点だったが「しばくぞ!覚悟が足らんわ」と冷静に断り。
「え~!マジっスか~」そのまま俯せに倒れ込む後輩は、不満そうにダレる。
だが意外な事に、休憩時間が終わっても後輩は諦めていなかった。
「カウンターの水入れ替えてきます」
忙しくなり始め、接客等に追われながらでも気の利く後輩に虎太郎は驚く。
「お前気が利くやないか」
「そうっしょ、俺バンドでも気が利くと思うっす」
「からかってんのか、シバくぞ」
虎太郎は即答で断るが、まんざらでもなさそうに笑顔を返した。
数日後、練習日の打ち合わせ電話で「あれから電話有った?メンバーどうする?」と秋人は心配するが「バイトの後輩からバンドに入りたいって軽く言われてムカついたわ」と虎太郎は冗談っぽく舌打ちを返す。
「また断ったの~、もったいないよ~」
秋人は残念そうに情けない声を挙げるが「どうせ大した覚悟も無いやろ」と鼻で笑う虎太郎は気にもしていない。
「じゃあ明後日な!」
そう言って虎太郎は電話を切ると、思い出したように店内を見渡す。
驚かしたい一心からか、虎太郎は今居る場所について何も言わなかった。
何故ならその場所は楽器屋だったからだった。
それから更に数日後、バイト先での休憩時間。
「どうしたんやお前?このクソ暑いのにジュース買う金も無いんか?」
やたらと店の水を飲む後輩をからかうように虎太郎は笑う。
「金使い切ってしまったんっス」
「どうせパチンコやろ」
「違うっスよ~、ベース買ったんっス!俺練習するんで上手くなったらバンド入れて下さい」
すぐには返事出来ず、考え込む虎太郎に「俺本気なんす!」と付け足す後輩は、真剣な眼差しで虎太郎を見つめる。
三度目になる後輩の頼みに、まだギターを選びかね買っていない虎太郎は思わず吹き出す。
「アホか俺より格好付けるな!」
「どういう意味なんっスかソレ~?」
笑い返す後輩に「お前で四人目決定って意味や!」と虎太郎は偉そぶって後輩の肩に手を置き、後輩のグラスに水を注ぐ。
他人を認める事の少ない虎太郎が、後輩の覚悟を認めた瞬間だった。
「マジっスか~?」
狭い休憩室に後輩の喜ぶ声が響く。
余程嬉しかったのか高く持ち上げたグラスを、祝杯でも眺めるかのように後輩は見つめている。
狭い休憩室の窓硝子越しに映し出された其の氷水の空は、気持ち良い程透き通った青だった。