11〈天井の無い夜〉
11〈天井の無い夜〉
「俺、上手くなったよな?」
夕方秋人の病室に訪ねて来て質問する虎太郎の雰囲気は、何故だか反論を求めてはいない。
「自分で言ってる内はまだまだだよ~」
質問の意図を読み取れない秋人は笑い飛ばしたが、真剣な表情で一睨みする虎太郎にすぐに頷き返す。
「‥‥?」
理由を聞ききれず唖然としている秋人に「行くぞ!」と急かす虎太郎は、相変わらず説明しようとはしない。
柄にもなく少し緊張した様子の虎太郎が移動した先は、千夏の居る病室だった。
「二人で来るの珍しいね」
突然の来訪にも関わらず、千夏は人懐っこい笑顔で二人を迎える。
「今日は作詞の参考に俺の歌聴いてもらおうと思ってな」
「それって私だけにスペシャルライブ?」
悪戯な言葉のやり取りに「そんな大袈裟なもんちゃうわ」と虎太郎は照れ隠しに強がりを口にするが、特別な思い入れが有るのは言うまでもない。
「楽しみだな~」
二人の後を追う千夏は、まるで子供のようにスキップで駆けて行く。
「素敵~!ココがライブ会場?」
「いつもは練習場やけどな」
珍しく患者の居ない屋上の空は、三人を祝福しているかのように綺麗な夕焼けに染まっていた。
「じゃあ始めるか‥‥」
そう言って虎太郎がケースから取り出したのは、この日の為に用意したであろうアコースティックギター。
秋人は一瞬驚いた表情をするが、何も言わない虎太郎を気遣かってか聞こうとはしない。
視線を合わせた二人がギターを弾き始めると同時に、虎太郎の歌声が屋上に響く。
「アコギやと、こんなもんやな‥‥」
一曲弾き終えた虎太郎が遠慮気味にギターを置くと、千夏は感想を言い忘れる程夢中で拍手を送っている。
「‥‥どうや?」
真剣な表情で尋ねる虎太郎に「コレ位良かった~!」と陽気に跳びはねる千夏の感想は、全く説明になっていない。
だが簡単には説明出来ない程、虎太郎の歌声に力が有るのは事実だった。
「どれ位やねん‥‥」
照れ臭さそうに虎太郎は呟くが、それ以上聞こうとはしない。
「次はライブ会場で聴かせたるわ」
まるでプレゼントを渡すみたいに、希望に満ちた瞳で虎太郎は宣言するが「良いな~!二人共‥‥」と羨ましそうに涙声で呟く千夏は、何故か目に涙を浮かべ沈みゆく夕日を眺めている。
彼女がいつになく陽気に振る舞っていたのが空元気だった事に、二人が気付いた時はすでに遅く。
千夏の頬に涙が落ちたのと同時に逸れを照らしていた夕日は沈み、屋上の景色は暗い夜に変わっていた。
「もう夜になっちゃったね‥‥」
見た事の無い消沈する千夏の姿に、動揺する二人は返事も返せない。
「私‥‥、手術するか悩んでるんだ」
気を使わせまいと千夏は明るく切り出すが、詳しく聞き出せるような内容ではない。
「夜が嫌い‥‥、時間なんか止まったら良いのに‥‥」
来てほしくない明日を拒むように、千夏は話し続ける。
「どうせ死ぬなら死ぬ前に見たい所が沢山あったな~、スタジオでもライブ見たかったし、お酒も飲んでみたかったし‥‥」
せきをきるように溢れ出る千夏の言葉と涙は、優しさの余りに今日まで誰にも言わなかった我慢を物語っていた。
「解った行くぞ‥‥」
例の如く何の説明も無しに千夏の手を引き歩き始める虎太郎に、驚きを隠せない千夏の服装はパジャマ姿だった。
「ちゃんと許可とか取らないと駄目だよ~」
心配そうに秋人は引き止めるが「しばくぞ、そんなんどうでもええねん」と虎太郎は聞き入れず、千夏も掴まれた手を振りほどこうとはしない。
「もう~、しょうがないな~」
そう言って諦め口調で二人の後を追う秋人だが、微笑する其の表情は満更でもない。
二人のギターは秋人の病室に置き、千夏の病室には[すぐ戻ります、千夏]と短めの書き置きだけを残し、三人は緊急搬送者用の裏口から病院を抜け出す。
虎太郎の運転するバイクに三人で乗り、移動した先は近くのコンビニだった。
「ちょっと待ってな」
バイクを停めた虎太郎は二人を降ろすと、一人コンビニに入っていく。
待たされた二人は不安そうに辺りを見回すが、振り返らない虎太郎は気にもしていない。
「じゃあ行こか」
数分後コンビニで何やら大量に買い出しをした虎太郎は、逸れを秋人に手渡し再びバイクで移動を始める。
「ここやったらええやろ、来るの鉄鬼の奴達くらいやしな」
そう言ってバイクを停めた虎太郎は、慣れた様子でベンチに腰掛ける。
着いた場所は町外れの静かな公園。
落ち着きなく秋人は辺りをキョロキョロと見渡すが、陽も落ちきった夜の公園には他に誰か来る気配すらない。
「三人乗りは駄目だよ~、信号無視もしてたし、一人は女の子なんだよ~」
今更な秋人の正論に、当然のように聞く耳を持たない虎太郎は「早かったやろ!」と悪戯な笑顔を返し。
「ジェットコースターみたい!まだドキドキしてる」と虎太郎を庇う千夏は、いつものように無邪気な笑顔を返した。
「先ずはコレやろ!どれが良い?」
買い出しした袋の中から自分が飲む缶ビールを取り出した虎太郎は、袋を開き千夏に選ばせる。
「未成年にアルコールは駄目だよ~」
情けない声を上げて秋人は止めようとするが「俺の奢りや気にするな!」と問題をすり替える虎太郎との会話は成立していない。
「コレ美味しそう!」
そう言って千夏が上機嫌に一缶取り出すと、まだ納得していなさそうだった秋人も「どうなっても知らないよ~」と諦めたように呟く。
「お前はコレや!」
勝利宣言さながら虎太郎は問答無用でビールを手渡し「この一本だけだよ~」と受け取りながら嘆く秋人の正義感は、適度に麻痺してしまっている。
「とりあえず乾杯やな」
そう言って虎太郎は持っている缶ビールを突き出し、突き合わせる二人も笑顔を返した。
「美味し~!」
「コレ苦いよ~」
初めてアルコールを飲んだ二人は、それぞれ感想を口にするが評価は全く重ならない。
「しばくぞ、ビールはそういうもんや」
笑い飛ばす虎太郎は、もう二缶目に手を伸ばしている。
「それよりもコレお金払うよ~」
買い出しした量の多さを気遣い、秋人は財布からお金を出そうとするが「そんなんええねん」と睨みを効かす虎太郎は、受け取ろうとはしない。
「次はコレ飲んでみようかな~」
虎太郎程ではないが意外と早いペースで飲む千夏と比べ、秋人だけは一向に進んでいない。
「ツマミばっかり食うな、もっと飲め」
一口飲むたびに顔をしかめる秋人を見て虎太郎は面白がり笑うが「だって苦いんだよ~」と冗談ではなさそうな秋人のリアクションは、完全に顔芸と化している。
「それよりも大丈夫かな~、絶対怒られるよ~」
抜け出した事を気にしているせいか秋人はちらちらと時計ばかり見ているが「今更そんな事気にしてんのか?」と主犯である虎太郎は全く気にもしていない。
「コレ飲んでみたら?」
ずっと二人のやり取りを笑って見ていた千夏だったが、秋人を気遣いさりげなく他の飲み物を手渡す。
「コレ美味しい~、コレなら全然飲めるよ~」
「じゃあ勝負してみるか!」
余興代わりとでも言わんばかりな虎太郎の挑発に「私も参加する」と千夏も加わり、三人での飲み比べが始まる。
決して豪勢ではない公園でのささやかな宴会だったが、賑やかに笑い合う三人には掛け替えの無い時間だった。
「もう駄目だ~、絶対勝てないよ~」
序盤こそ良い勝負だったが明らかに飲むペースが違うのを悟り、虎太郎と張り合うのを秋人は諦め始めている。
「‥‥そろそろ戻らないとマズイよ~」
時計を見て思い出したように秋人は口にするが「しばくぞ!夜はまだまだこれからやろ」と虎太郎が聞き入れるわけもない。
「それにもう呑めないよ~」
今にも眠ってしまいそうに公園のベンチにへたり込み一人占めする秋人を、飲み比べ勝者の二人は笑う。
「花火戦争ってした事有るか?」
そう言って買い出しした袋の中から、虎太郎が花火を取り出し見せると「したことは無いけど、そんなの駄目だよ~、名前からして絶対危ないよ~」と秋人は起き上がり大袈裟に引き止め、虎太郎に睨まれる。
「したい、した~い!」
喜び跳びはねる千夏を「花火戦争は駄目だよ~、やるなら普通の花火だよ~」と秋人は止めるが、すでに千夏は中身を取り出し物色し始めている。
「どれにしようかな~」
そう言って楽しげに花火を選ぶ、そんな千夏の手を止めたのは降り始めた小雨だった。
「ほ~ら~、天気も駄目だって言って~るよ~」
場の空気も読めず完全に酔っ払いと化した秋人は、横たわり今にも眠ってしまいそうに瞳を閉じ。
二人雨模様を眺める少しの静寂の間に、いつのまにか秋人は眠ってしまう。
「やっぱり楽しい事って続かないのかな‥‥」
気を使わせまいとして千夏は明るめに話すが「すぐに止むやろ‥‥、ほら呑めよ」と優しく返事を返す虎太郎は、それでも察している。
敢えて何も言わない虎太郎は、小さく頷く千夏が心の内を話しだすのを待っているようだった。
「私まだ死にたくない‥‥」
逸れ以上何も言わず泣き声を押し殺す千夏に、隣りに座る虎太郎は静かに頷き返す。
辺りはそんな二人を守り隠すように、雨音だけが響いていた。
「ゴメンね‥‥」
そう言って、ひとしきり泣いた千夏は冷静を装い「ただ来てくれる友達も少なくなって、忘れられていくのかなって‥‥」と造り笑顔を浮かべ、ごまかそうとするが「‥‥俺は絶対忘れんぞ」と言いきる虎太郎は、真剣な表情で視線を逸らそうとはしない。
「またまた~、そんな事言っても何も出ないよ」
何事も無かったかのように千夏は笑って茶化そうとするが、逸れを聞き流せない虎太郎は「好きやからや、忘れる訳無いやろ」と語気を強め、まるで時間が止まったかのように辺りは静まり返る。
今にもまた泣き出しそうな表情で言葉を返せない千夏と、逸れ以上何も言わない虎太郎。
まだ止まない雨が二人の心音代わりのように響いている。
「返事は気にせんでええから‥‥」
先に口を開いたのは虎太郎だった。
余計な負担を掛けたくないからなのか、虎太郎は答えを求めようとはしない。
「うん‥‥、ありがとう‥‥」
雨音に掻き消された千夏の返事は、それでも充分感謝している事が虎太郎には伝わっていた。
「決めた!手術受ける!」
立ち上がり高らかに宣言する千夏に「手術の日行くわ!約束や」と虎太郎は右手の小指を突き出す。
「虎君はそれよりも喧嘩しないっ!」
千夏は虎太郎の擦り切れた右拳に手を添え、心配そうに見つめる。
「‥‥逸れも約束するわ」
虎太郎は渋々と了承するが、千夏は安心した様子で笑顔を返す。
二人の指切りする声に起こされた秋人は「あれっ‥‥、花火しないともったいないよ~」と雨が降っていた事も忘れ、虎太郎のライターを借り花火に火を付ける。
気付けばいつのまにか雨は止んでいた。
見上げる夜空は曇りでも、水溜まりに映る花火は流星群のように輝いていた。
「星空みたい‥‥」
水溜まりを見つめ呟く千夏が見上げると、虎太郎が優しく微笑んでいた。