12〈愛の力〉
12〈愛の力〉
あの花火をした日から数日が過ぎた休日、目前に迫る千夏の手術日よりも先に虎太郎にはどうしても済ませておきたい事が一つ有った。
「オウ、ほんまにそれでええんやな‥‥」
「ウッス‥‥、その時間でお願いします‥‥」
いつになく礼儀正しく話す虎太郎の電話相手は、鉄鬼のOB。
電話を切った虎太郎は無造作に置かれた特攻服を眺め、感慨深げに煙草の火を付ける。
だが落ち着いて其の煙草を吸う間も無く、携帯の着信音が自宅の狭い部屋に響く。
「虎ほんまに鉄鬼辞めるんか?」
連絡を聞いてすぐだったのだろう、社交辞令も無く竜也は慌てた様子で尋ねる。
「もう決めたんや‥‥」
一言そう言うと、虎太郎は逸れ以上言葉にはしない。
心残りが無いと言えば嘘になるだろうが、一度決めた事を簡単に変える男ではない事を竜也も解っていた。
「そうか‥‥、じゃあしょうがないな‥‥、まあ俺は虎ん家遊びに行くから変わらんけどな」
わざとらしくふざける竜也に「お前はもっと遠慮しろ!我が家ちゃうんやぞ」と虎太郎も何事も無かったかのようにふざけ返す。
互いに認め合う二人には、これ以上余計な説明等必要無いと言っているようだった。
「それよりも何か最近虎の事嗅ぎ回ってる奴がおるらしいから気をつけろよ」
噂話を気にかける竜也に、虎太郎は如何にも適当な返事を返す。
逸れを予測していたかのように「まあ見つけたら俺が退治したってもええけど、虎には必要無いやろ!」と話し続ける竜也は笑い話にしようとするが「イヤ、そうでもないんや、喧嘩せんって決めたからな」と虎太郎は柄にもなく困った様子で苦笑いを浮かべる。
「どうしたんや頭打ったんか?」
「違うわ!」
「解った!女やな~」
軽妙な口調でからかう竜也は、真面目に取り合う気が一切無い。
「‥‥まあ、約束したからな」
「へ~え、虎が約束ね~」
否定しない虎太郎を、竜也は明らかに面白がっていたが「しばくぞ」と言って虎太郎が笑うと、竜也は残念そうに笑い返す。
二人はゲラゲラと笑い話を繰り返し、結局電話を切ったのは一時間後だった。
夕方特攻服に着替えバイクに乗った虎太郎が向かった先は、鉄鬼のたまり場になっている立体駐車場の屋上。
「オオ~!久しぶりやん虎」
「辞めるってほんまなん?」
すでに集まっていた鉄鬼のメンバー達は、着いた虎太郎に思い思いの声を掛けていく。
「オウ、脱退式始めるぞ」
そう言ってメンバーを纏めたのは、今日電話で話していたOBだった。
「虎、前に出ろ」
メンバーで円陣を組まれた真ん中に虎太郎が立ち止まると、まるでステージのようにバイクのライトで照らしだされる。
バイクのエンジン音が響く円陣の中、一人が虎太郎の居る所に歩み寄って行く。
「中学の時喧嘩助けてくれてありがとうな」
言い終わると同時に、仲間の一人は虎太郎の頬を一発殴り。
殴られた虎太郎は怒るでもなく、次の仲間が来るのを待っている。
「辞めても俺は仲間やからな」
同じように次の仲間が一言贈ると一発殴る、これが歴代続く鉄鬼の脱退式だった。
「俺を鉄鬼に誘ってくれてありがとな」
「抗争なったら呼んだるわ、どうせヒマやろ」
最初は平然と立ち受け止めていた虎太郎も、何人か続くとフラフラとよろめき始めている。
「何で辞めるんや虎~!」
泣きながら殴る奴もいた。
それだけ鉄鬼の中で虎太郎の存在は大きかった。
もう虎太郎の顔は血だらけだが、全員が終わる迄誰も止めようとはしない。
両手で数えきれない程の拳を受け止めきると、最後の相手は竜也だった。
「またな‥‥」
短い一言で踵を返す竜也は、円陣の中に帰っていく。
辞める理由を全て知っているのは竜也だけだが、誰もが「頑張れよ」という気持ちを拳に込めているのは間違いなかった。
円陣を組み整列して待つメンバー達を一望した虎太郎は、左腕に巻いていた特攻隊長の腕章を外し竜也に手渡す。
逸れが脱退式と特攻隊長継承が終わった瞬間だった。
「行くぞ」
OBの一言で走り去るメンバー達は、誰も振り返ろうとはしない。
一人立体駐車場の屋上に取り残された虎太郎は、もう戻る事の出来ない光の渦を眺め煙草に火を付ける。
一人の男が一つのけじめを付けたこの日も、夜の街は変わらず輝いていた。
広いようで狭い彼等の世界では、虎太郎が鉄鬼を脱退した噂が巡るのは早かった。
逸れは虎太郎の存在が対抗するチームにとっても大きい事を示していたが、恨みを募らせていた連中にも知られるという事だった。
あれから数日が経ち千夏の手術日に神社でお守りを買った虎太郎は、バイクで病院に向かっていた。
まるで試合後のボクサーのように顔を腫らした虎太郎は、信号待ちするたびに他人の視線を集めているが当人は気付いてもいない。
「ちょっと顔貸してんか~」
横付けされた車の助手席に乗った男から、いらつく声を掛けられたのは其の時だった。
顔のせいで脱退する前よりも他人から避けられる事が増えていた虎太郎は一瞬驚くが、怯えるでもなく其の車の後を追う。
経験上逃げてもその場凌ぎにしかならない事を、虎太郎には解っているようだった。
人通りの少ない空き地に乗り物を停めると、向かい合う互いは言葉も無く睨み合う。
暫しの静寂を切り裂くように、最初に口を開いたのは虎太郎だった。
「またお前達か懲りひんな~、忙しいから今度にしてくれるか」
見覚えの有る三人に気付き、噂の真相を理解した虎太郎は思わず吹き出す。
虎太郎を狙い嗅ぎ回っていたのは、あの時殴り飛ばした秋人の悪友達だった。
「今度って何~?ほんまはビビってんのちゃ~う」
「バックもおらんようなったし~」
人数が一人増え武器も持っているからか、舐めた口調で虎太郎に近寄る。
「はぁ~?」
今にも殴り掛かりそうな虎太郎を警戒して、相手も簡単には手を出せない。
武器を持っている相手に四対一だというのに、虎太郎の不敵さは普段と何ら変わりなかった。
千夏の手術日に狙われるとは偶然にしては出来過ぎているが、逸れも当然の事で。
何故なら秋人からリサーチしていた彼等は、わざとこの日を選び待ち伏せしていたからだった。
「もうええからやっちまおうぜ!」
一人の言葉に呼応するようにニヤつく相手は、それぞれ手に持った武器を振り上げ殴り掛かる。
千夏との約束を守り、手を出さないで無事に済むような状況ではなかった。
それでも虎太郎は殴り返そうとはせず、振り払うだけで相手を薙ぎ倒していく。
だがいつまでも逸れで持つはずがなく、防戦一方となり殴られ続ける虎太郎の顔は血だらけになっている。
明らかに違法改造されたバイクの爆音が、ゆっくりと近づいて来たのは其の時だった。
「ノーマルに戻してなくて良かったわ、すぐ場所解ったで」
単車から降りた竜也は、まるで友達の家にでも尋ねて来たかのように飄々と語りかける。
予想もしていなかったであろう状況に、四人は萎縮して身動き一つ出来ない。
「お前達鉄鬼の特攻隊長に手ぇ出してどうなるか解ってるんやろな」
単車から取り出した鉄パイプを手に取り、竜也はゆっくりと四人に詰め寄っていく。
武器を投げ棄てた相手の一人が駆けだすと、逸れを追うように二人も逃げだし。
一人取り残された車の持ち主だけが、オロオロと立ち尽くしている。
「しばくぞ、元特攻隊長や」
全身の痛みに耐え兼ねた虎太郎は、座り込み竜也に笑い掛ける。
「ほんまに手出さへんって?どうしたんや虎?」
竜也は笑顔で会話を続けながら、鉄パイプを指揮棒のように操り取り残された一人に正座を強要している。
「愛の力や!」
「あの虎がな~」
面白がる竜也はまじまじと虎太郎を見つめるが、睨みつけられ茶化した表情を返す。
「時間が無いから行くわ」
立ち上がる虎太郎は、ヨロヨロとふらつきながらも何とか単車に跨がる。
「じゃあ、こいつの仲間は俺がシメとくわ」
取り残された一人の頬を、竜也はペチペチと鉄パイプで叩く。
だが虎太郎は仕返しの事なんて考えてもいなかったのか「任せるわ」と適当な返事を返し、気にもしていない。
「そうや、用事忘れるとこやった!コレ返すわ!」
腕に巻いていた特攻隊長の腕章を外した竜也は「俺達の代の特攻隊長は虎だけや!俺は代理でええわ」と笑顔で虎太郎に投げ渡す。
「ありがとな代理」
照れ臭そうに冗談付くと、虎太郎は急いで走り去る。
事故った時の事なんて考えるほど、時間に余裕は無かった。
信号なんて守る訳も無く、稲妻のように走り抜けていた。
「遅いよ~、もう始まるとこだったよ~」
息を切らし病室に駆け付けた虎太郎の下に、秋人が駆け寄る。
「顔どうしたの?傷だらけ‥‥」
千夏は心配そうに手を差し出し、顔中血だらけの虎太郎を見つめるが「気にすんな!約束は守ったぞ」と虎太郎は不器用な造り笑顔を返す。
「お医者さん誰の手術するか解らなくなっちゃうね」
吹き出す千夏を見て、少し安心した様子の二人はいつものように笑い。
そんな三人のやり取りを、千夏の両親は静かに見守っている。
勿論いつまでも笑い合える訳も無く、病室では千夏を搬送する準備が慌ただしく進められ。
運ばれる間ずっと両親の手を繋いでいた千夏は、否応なく手術室に入って行った。
ただ待つ事しか出来ない虎太郎が逸れでも間に合って良かったと思えるのはきっと、少しでも千夏が笑ってくれたからだった。