13〈ポリシー〉
13〈ポリシー〉
千夏が手術室に入ると、落ち着かない母親は座るでもなくオロオロと右往左往している。
待つ四人には会話も無く、何か話しだせるような雰囲気ではない。
ただ静かに時間が過ぎていくなか、最初に口を開いたのは父親だった。
「千夏が無断外出してたって看護婦から聞いたけど、君達何か知ってるか?」
「今そんな話ししなくても・・・」
母親は引き止めようとするが「今聞かな何時聞くんや」と聞き入れない父親は、静かな怒りに満ちている。
「俺達と一緒に居ました」
正直に虎太郎は話すが、父親の眼は変わらず冷たい。
「どう騙して連れ出したんか知らんけど、もう家の娘には近付かんといてくれへんか?」
「違うんです、相談に乗っていたんですよ」
秋人の弁明も虚しく「そんな髪形してる子達の言う事なんか信用出来る訳無いやろ」と父親は聞く耳を持たず、バッサリと切り捨てる。
「せっかくお見舞いに来てくれたのに、何もそんな言い方しなくても・・・」
「お前はええから黙っとけ」
それでなくても緊張した状況なのに、二人がお見舞いに来た事で夫婦が更に険悪になっているのは間違いなかった。
「スミマセン・・・」
虎太郎は小さく一礼すると買っていた御守りを母親に手渡し、静かにその場を立ち去り。
同じように秋人も両親に一礼をして、慌てて虎太郎の後を追う。
「ほら~、そんな髪形してるから誤解されるんだよ~」
虎太郎に追い付いた秋人は軽口を叩き咎めるが「しばくぞ、これは俺のポリシーや!誰に言われても一生変えんわ」と聞き入れようとはしない虎太郎のこだわりには、むしろ逆効果のようだった。
手術が成功したとメールで連絡が来た次の日。
お見舞いに来てくれた感謝と投薬治療で経過観察が有るので退院がまだ先になる事が書かれてあり、両親との手術室前での出来事については何も書かれていなかった。
其の連絡を受けて先にお見舞いに行ったのは秋人だった。
数日後に自分が退院する連絡も兼ねていたが、病室の入り口で母親に引き止められる。
「また今度来てくれる、今は誰とも会いたくないって言ってるから・・・」母親は申し訳なさそうに頭を下げ、秋人を通路に連れ出す。
「手術は成功したんだけど薬で髪がちょっとね・・・」
術後の安心感からか上機嫌な母親の口は軽く、今にも千夏の身の上話しを始めそうだ。
どう返事したら良いのか解らない秋人が愛想笑いを返すと「ごめんなさいね」と察した母親は笑顔で一礼をして、そそくさと病室に戻って行く。
「せっかく買ってきたのにコレ、可愛いじゃない・・・」
母親は残念そうに自分が買ってきた帽子を手に取り話し掛けるが、千夏はシーツを被ったまま頷き顔を出そうとはしない。
坊主頭になった位で大袈裟だと言わんばかりに母親は「短くても可愛いわよ」と気休めを言うが、思春期の千夏にとってただ事でない事は其の行動が示していた。
結局千夏と話す事が出来ず、病室に戻った秋人の携帯が鳴ったのは一時間後の正午だった。
「もう、お見舞い行ってきたか?」
「行ったけど会えなかったよ~、何か薬のせいで髪の毛が・アレらしいよ・・・」
妙な気を使い所々小声になる秋人だが「アレって何やねん?」と聞き直す虎太郎は、曖昧な言葉では納得しそうにない。
「病名知らないから解らないけど、映画とかでよく有るような抜ける感じだと思うよ~」
其れらしい答えで何とかその場を凌いだ秋人は「そういえば、やっとこっちも退院だよ~」とすかさず話しを逸らす。
「おお・・、おめでとう」
「心が込もって無いよ~」
明らかに適当な返事を返す虎太郎に秋人は思わず笑い。
「しばくぞ、骨折のお前はどうでもええねん」と虎太郎も笑い飛ばす。
「今日行くの?今は行かない方が良いよ~、こないだ怒られたばっかりだし~」
秋人は引き止めるが「お見舞いにそんなん関係無いやろ」と其れを虎太郎が聞き入れない事は互いに解りきっている。
「まぁ行く前にやる事が有るけどな・・・」
意味深な言葉を残し電話を切った虎太郎が向かった先は、行き付けの古い床屋だった。
「毎度~!どうぞどうぞ」
陽気な中年の店主は爽やかな笑顔と手振りで、虎太郎を座席に誘導する。
「今日もいつもの感じで良いかな~?」
顔馴染みな虎太郎の好みを、店主はだれよりも理解している。
「一生貫く言うてたもんな~、今時珍しく気合い入ってるからおっちゃんよう覚えとるわ」
店主は陽気に話し続け。
「ポリシーやな、ポリシー」と如何にも使いなれていない言葉で理解を示す。
懐かしむように鏡に映る自分を眺める虎太郎は、覚悟を決めるように一息吐く。
赤髪のリーゼントは、まだ切る必要もない位に整っていた。
「今日はコレにしてもらうわ」
もう決めていたかのように虎太郎は貼り出された髪型を選び。
少し驚いた様子の店主は一瞬固まるが「コレも気合い入っとるな」と慌てて笑顔で取り繕う。
虎太郎は其れを見透かしたかのように笑い返した。
其の頃病院では千夏を元気付けようと苦心する母親が「外出許可貰って退院した時に着る服でも買いに行く?」と誘い出そうとするが、朝からシーツにくるまったままの千夏は変わらず出ようとはしない。
「帰り道に駅前のケーキバイキングに寄ってケーキ食べよっか?」
あの手この手で母親は連れ出そうとするが「太るからいい・・・」と千夏は一言だけ返し、シーツの中で携帯のやり取りをしている。
「そう・・・」
千夏の気持ちが解らないでもない母親は強く言う事も無く、誘いだすのを諦め片付けをしてい
た時だった。
聞き慣れない大きな足音が病室に近づいてくる。
「千夏ちゃん居ますか?」
礼儀正しい挨拶をして、病室に入って来たのは虎太郎だった。
カーテンを閉じられた状態で虎太郎から千夏の姿を見る事は出来ないが、慌ただしく荷物を纏める母親と視線が合う。
「居るんだけど今は誰とも会いたがらないのよ・・・」
母親は小声で虎太郎を廊下に連れ出すと「あらっ、さっぱりしたのね~」と虎太郎の頭を眺め驚いている。
「この間はごめんなさいね、せっかく来てくれたのに」
母親は申し訳なさそうに頭を下げるが、虎太郎はそれほど気にしてはいないのか「大丈夫っす」と笑顔で頷き返す。
「また来て貰える?きっと喜ぶと思うから・・・」
そう言ってそそくさと病室に立ち去る母親の笑顔に、虎太郎は安心したような表情を見せる。
だが会いに来ても会おうとしない千夏の行動が、もしかしたら父親に反対されているのかもしれないと思わせるには充分な事実だった。
「本当に会わなくて良いの?」
病室に戻った母親は心配そうに聞くが、シーツを被ったままの千夏は相変わらずベッドから出ようとはしない。
「やっぱり男の子は短い方が良いわね、見違えちゃったわ」
ポツリと呟く母親の一言で、一向にベッドから出ようとはしなかった千夏は立ち上がり窓際に駆け寄る。
ガレージに向かい帰り道を歩く虎太郎を見つけると「高校球児みたい・・・」思わず笑う千夏。
それは母親も久しぶりに見る笑顔だった。
「俺は一生この髪型貫くんや」
「お父さんになっても?」
「もちろん一生やからな、子供も真似したがるやろ」
そんな話しをしていた事を思い出すように、千夏は其の後ろ姿を見つめ続ける。
およそ似つかわしくない虎太郎の髪型が、千夏の事を気遣いした事なのは察するまでもなかった。
今にも声を掛けてしまいそうな程に身を乗りだしているのに、今は見られたくからカーテンに隠れている。
そんな千夏の表情は、もう隠しきれない恋心を表しているようだった。
それから電話をしたのは虎太郎の姿が見えなくなって数分後、母親が居なくなった時だった。
「坊主頭似合ってたよ」
クスクスと小悪魔的に笑う千夏に「何や見てたんか、ちょっとイメチェンや」と見え透いた嘘で誤魔化す虎太郎は、照れくさそうに頭を掻く。
「それより体調大丈夫なんか?」
「うん・・・、大丈夫」
「じゃあ今からお見舞い行くわ」
そう言って急かす虎太郎には、どうしても会ってもう一度伝えたい事が有るようだった。
「ゴメン・・・、今は・・・、会えない・・・」
そう伝えると千夏は一方的に電話を切るが、察した虎太郎に掛け直す事は出来なかった。
それでも会いに行く気持ちを止める事が出来なかったのは、直接会ってきちんと告白したかったからなのは言うまでもなく。
其れが抑えきれない恋だとすれば、自分から連絡をしても会いたがらない千夏の気持ちも同じように恋なのは間違いなかった。
「今から会いに行く」
意を決して虎太郎が家を飛び出たのは夕方で、メールを送ったのは病院の入口。
もう面会可能な時間は過ぎていた。
さも当然のように夜間救急入口から入る虎太郎に、よく有る事なのか警備員は気にも留めない。
千夏が返信する間も無く病室に着いた虎太郎は、入口で立ち止まる。
「俺や、入って良いか?」
病室には他の患者も三人居たが、千夏に呼び掛ける虎太郎は気にする素振りすらない。
カーテンは閉まっていて返事も無かったが、微かに人の気配は感じ取れるので虎太郎はベッドに近づいて行く。
慌てて帽子を探し被る千夏に返事する余裕なんて無かった。
「入るぞ」
一言告げ虎太郎がカーテンに手を掛けると「ダメ!!」と千夏はやっと声を出し、虎太郎は其の状態で動きを止める。
手術中なので千夏は知らないが、父親に反対された事が有ったからか虎太郎は覚悟を決めていたかのように切り出す。
「もしかして俺の事避けてんのか?そうやったら・・」
「違う・・・」
虎太郎が全てを言い切る前に千夏は引き止める。
「じゃあ何でなんや?」
まだ同室の患者達も起きているのに、気遣いからか病室には例えようの無い静寂が包んでいた。
「虎君の事、ちゃんと考えてるから・・・」
誠実な其の一言に安心したのか「解った、会えるようになったらまた来るわ」と虎太郎が立ち去ろうとした時、そっと差し出した千夏の手が虎太郎の手を包む。
「もう少しだけ一緒に居て・・・」
何も言わず虎太郎は千夏の手を握り返す、其れが返事の代わりと言っているように。
手術が済んだからと言っても千夏の不安が簡単に消える訳ではないのを、虎太郎は察しているようだった。
互いに顔の見えないカーテン越しで初めて繋ぐ手。
何か話せば手を離さなければいけなくなると思ったからか、過ぎてしまう時間を惜しむように二人はただ静かに互いの手を握り続けていた。